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高松高等裁判所 昭和51年(ネ)99号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

井関農機株式会社

右代表者代表取締役

森美徳

右訴訟代理人弁護士

高島良一

白石喜徳

被控訴人(附帯控訴人)

松浦秀人

右訴訟代理人弁護士

三好泰祐

東俊一

津村健太郎

右当事者間の従業員地位保全等仮処分申請控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人(附帯被控訴人)は被控訴人(附帯控訴人)に対し、一〇一万〇八〇五円及び昭和五三年七月以降毎月二五日限り三万九一〇一円を仮りに支払え。

被控訴人(附帯控訴人)が当審で拡張したその余の申請を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

一  本件控訴について

控訴人(附帯被控訴人、以下控訴会社または単に会社という)代理人は、「原判決を取り消す。本件仮処分申請を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人、以下被控訴人という)の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一項同旨並びに「控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

二  附帯控訴について

被控訴代理人は、「控訴会社は被控訴人に対し、一九一万八七九四円及び昭和五三年七月以降毎月二五日限り一六万七九七八円を仮りに支払え」との判決を求め、控訴会社代理人は「附帯控訴を棄却する。被控訴人が当審で拡張した申請を棄却する」との判決を求めた。

第二当事者双方の主張並びに証拠関係

次に付加するほか原判決事実摘示のとおりである(但し、原判決二枚目裏八行目の「従わなかった」から同一〇行目迄の記載を「本件転勤命令に従うことを拒否したので、会社は同年一二月一九日付で、右は労働協約三〇条三号の懲戒解雇事由に該当するものとして、同三一条所定の手続を履践したうえ、同月二二日被控訴人に到達した通知により、被控訴人を懲戒解雇(以下本件解雇という)した。」と、原判決六枚目表四行目から同裏四行目迄の記載を「五、右のとおり本件転勤命令及び本件解雇はいずれも無効であるから、被控訴人は依然会社の松山財務課従業員としての地位を有するものである。そして、被控訴人は本件解雇当時会社から毎月二五日限りで別紙(二)の一覧表1の基準内賃金月額欄記載の給与の支払いを受けていたところ、もし本件解雇がなければベースアップ及び手当の付加、増額支給によって同一覧表2ないし10の基準内賃金月額欄記載の給与並びに別紙(三)の一覧表1ないし5の一時金額欄記載の一時金の各支払いを受けていたはずである。六、しかるに、会社は本件解雇以降被控訴人を会社の従業員として取扱わず、また被控訴人に対し賃金等の支払いもしていないところ、被控訴人の家族は妻と母との三人家族であるが、妻の収入は月額手取り七万五〇〇〇円程度でこれに被控訴人の受領した仮払金月額一一万四〇〇〇円を加えても月額約一九万円に過ぎず、他に収入はない。他方被控訴人の家計の出費は月額三〇万二〇〇〇円を必要とし、そのため被控訴人は友人などから借金をしている実情にある。そこで、被控訴人は現在本案訴訟を提起するため準備中であるが、本案判決の確定をまっていては回復し難い損害を蒙るおそれがあるから、被控訴人が会社の従業員である地位を仮りに定め、会社が被控訴人に対し昭和四九年九月一一日付でなした被控訴人を会社財務部営業東北支店駐在を命じる旨の命令の効力を仮りに停止し、会社は被控訴人に対し原判決主文第三項記載の金員のほか別紙(一)の一覧表記載の一九一万八七九四円及び昭和五三年七月以降毎月二五日限り基準内賃金月額一六万七九七八円の仮払いをすることを命ずる仮処分命令を求める。なお、右の原判決主文第三項記載の金員を除く金員の仮払いを求める部分は附帯控訴により申請を拡張するものである。」と、同七枚目表四行目から同七行目迄の記載を、「(四) 同五の事実中被控訴人が本件解雇当時会社から毎月二五日限りで別紙(二)の一覧表1の基準内賃金月額欄記載の給与の支払いを受けていたこと、もし本件解雇がなければ昭和五〇年四月からベースアップにより同一覧表3、4の基準内賃金月額欄記載の給与並びに昭和五〇年夏季一時金及び冬季一時金として別紙(三)の一覧表1の一時金額欄記載の金員の支払いを受けるはずであったことは認めるがその余の事実は争う。(五) 同六の事実中会社が本件解雇以降被控訴人を会社の従業員として取扱っておらず、したがって被控訴人に対し賃金等の支払いをせず、もっとも原判決及び松山地方裁判所昭和五一年(ヨ)第二三五号賃金仮払仮処分申請事件の決定にしたがい別紙(二)及び(三)の各一覧表の仮払額欄記載の金員の仮払いをしたこと、被控訴人の家族がその主張のとおり三名であることは認めるが、その余の事実は争う。」とそれぞれ訂正する。)からこれを引用する。

(主張の補充)

〈被控訴人〉

別紙(略)(A)記載のとおりである。

〈控訴会社〉

別紙(B)記載のとおりである。

(追加された証拠関係)…略

理由

一  当事者

引用にかかる原判決事実摘示の申請の理由一の事実については当事者間に争いがない。

そして、(証拠略)によると、会社は肩書地(略)に登記簿上の本店を置き、このほかに本社事務所を東京都中央区日本橋二丁目一番三号に設け、本社事務所には、総合企画部、総務部、人事勤労部、財務部等が置かれ、実質的な本社機能は本社事務所で営まれていること、会社は、松山市、熊本市、茨城県伊奈村に工場を有し、東京、札幌、東北(仙台市)、関西(大阪市)、中四国(松山市)、九州(熊本市)に営業支店を設けていること、財務部の統括下には、東京本社事務所に東京財務課、松山市に松山事務所財務課(以下松山財務課という)、熊本市に熊本財務課が置かれ、また営業東北支店及び同関西支店に「駐在財務」と呼ばれるものが置かれていること、このうち、東京財務課が全社の財務関係統括業務を、松山財務課がこれに準ずる業務を担当するほか、各地の財務課ないし駐在財務が各支店の営業範囲の会計、資金関係等の財務処理を行っていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

二  本件転勤命令及び本件解雇

前同申請の理由二の事実については当事者間に争いがない。

三  本件転勤命令の不当労働行為性

(一)  被控訴人の組合活動歴等

(証拠略)によると、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  被控訴人は、昭和四四年六月、松山財務課に配属されると同時に総評全国金属井関農機中央本部松山支部(支部組合員数約一七〇〇名、以下組合支部という)の組合員となり、昭和四五年一〇月から、昭和四七年七月、高知ヰセキ販売株式会社に出向するまで二期連続して青年婦人部幹事(任期一年)として活動した。また、被控訴人は、当時、独身社員寮の第六井心寮に住んでいたが、右寮の寮生らの中心となって、会社に風呂券交付あるいは一人一部屋などの要求を出して交渉し、会社の右寮廃止の動きに対しては、松山にある四つの社員寮の寮長会議を組織し、寮生全員の署名を集めるなどして寮改善運動も積極的に行った。さらには、会社の労演サークルの中心的活動家としても、歌声まつりやフォークコンサートなどの催しに、多数の若い従業員を動員するなどして活躍していた。

(2)  被控訴人は、昭和四八年一〇月、組合支部執行委員選挙(定員九名)に立候補し、共産党の支持者であることを公然と表明したうえ「会社とくされ縁のない組合運営」「政党支持の自由」などの公約を掲げて積極的に選挙運動に取組んだ結果、和気地区(組合員数約九五〇名)定員五名中、最高票(一〇六票)を獲得して当選した。

(3)  被控訴人は、その後は、組合支部幹部として、昭和四九年春闘への取組みをはじめ、女子従業員の休日労働の廃止、無制限な時間外労働のチェックなど組合員の職場での要求を積極的に取り上げて一定の成果をあげ、日常的にも、組合のビラについては、担当職場にすみやかに配布するなど教宣活動を熱心に行っていた。

(4)  ところが、被控訴人は、組合支部書記局から、参議院選の社会党立候補者の履歴書と同党の機関誌社会新報の職場配布を指示されたのに、これを拒んだところ、右は組合決定に違反するという理由で、昭和四九年六月四日、弁解の機会も十分与えられないまま組合支部執行委員を罷免された。被控訴人は、右処置は政党支持の自由という組合民主主義のルールに反するとして、これを強く不満とし、改選期が四ケ月先に迫っていたことから、裁判手段に訴えるなどの方法を措らず、同年一〇月に行なわれる執行委員選挙に再度立候補して右罷免の不当性と自己の主張を組合員に訴え、選挙に当選することによって活路を見出すべく決意をかためていた。

(二)  被控訴人の右活動に対する会社側の態度

(証拠略)によると次の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(1)  昭和四七年二月ごろ、当時の上司であった松山財務課課長西嶋克生が、被控訴人を市内の料理屋「万喜」に呼び、「あなたは日本民主青年同盟に入っているのか。」、「民青に入っていたら会社の中ではよくないんだ。」、「民青に入っている人とは付き合うな。」などと話した。

(2)  昭和四九年八月六日、松山財務課片瀬利昭の送別会の二次会で、課員らが市内のスナック「バロンチャーチル」に行った際、同年六月東京財務課から転勤してきてまもない山内稔晨係長(係長は組合との協定によって非組合員とされる場合と組合員とされる場合とがあるが、同人の場合は非組合員とされ、課長を補佐し、課内の従業員の人事考課に関与していた。)が被控訴人に対し、「共産党や民青の活動やりよったらいかん。」「お前は、東京で皆にどない思われとる。知っとんか。お前のこと悪口いいよるぞ。」「共産党や民青の活動もええけど、やるなら会社やめてもらわないかん。」などの趣旨の発言をした。

右に認定した事実並びに前記(一)に認定した事実を綜合すると、会社は被控訴人の青年婦人部幹事としての活動が積極化するにつれて次第に被控訴人を注目し始め、ことに被控訴人が組合支部執行委員に立候補した際、自ら共産党の支持者であることを公然と表明したうえ、さらには「会社とくされ縁のない組合運営」等の公約を掲げたことから、単に異色の組合活動家であるというだけでなく、会社と組合が癒着しているのを是正することを標榜して選挙にのぞんだことに一層深い警戒心と反撥を抱き、しかも被控訴人が選挙の結果最高票で当選したことから、その影響力が職場で拡まることを予測し、被控訴人に対し強い嫌悪感を抱いていたものと推認するのが相当である。

(三)  会社職制らによる立候補妨害発言

(証拠略)によると、松山財務課課長毛利幹久は、昭和四九年七月下旬ころ、被控訴人を会社税務顧問室に呼び、約三〇分くらい話し合い、被控訴人に来る一〇月の組合支部執行委員選挙に立候補するかどうかを尋ね、被控訴人がこれを肯定すると、「執行委員になったら仕事が回らんようになって困る。」、「あなたは官立大学を出とんで、将来は会社の幹部になる人なのに、組合活動ばかりしよってどうするんぞ。」「二八歳にもなって嫁も貰えないでどうするつもりか。」などの趣旨の発言をし、その数日後、今度は、同課係長山内稔晨が、被控訴人を同所に呼び、約四〇分くらい話し合い、前と同様に、選挙に立候補するつもりかどうかを聞いたうえ、「お前、組合を罷免されとるのになんで出るんぞ。」「将来のことも考えないかん、後輩に追い抜かれてくやしいことはないのか。」などの趣旨の発言をし、さらに数日後、同係長は、再び被控訴人を会社第四応接室に呼び、約四〇分くらい話し合い、「来年の立候補はどうするつもりか。」「今年は今年はということでズルズルになってもらっては困る。」「君は大学も出てるし、能力もあるし、将来は財務課をきり回す人になってもらいたい。」などの趣旨の発言をしたことが認められる。

この点につき、会社は、毛利課長及び山内係長は、いずれも、今後の松山財務課の職務分担を立てる参考として右立候補の意思の有無を尋ねたにとどまり、それ以上にこれを思いとどまらせる趣旨の発言はしていないと主張する。

なる程(人証略)によれば、被控訴人は執行委員罷免前組合活動等のために担当業務の処理が遅れたため、その一部を片瀬利昭に分担してもらったり、また停滞していた被控訴人の担当業務を処理するため女子アルバイトを雇い入れたりしたことがあったところ、片瀬が近く東京財務課へ転勤することになったことから、毛利課長らがその後の松山財務課の業務分担を立案するについての参考とするため、被控訴人に、九月末日頃行われる組合支部の執行委員選挙に立候補する意思があるかどうかを尋ね、また被控訴人にその職務に精励するよう奮起を促す必要がないわけではなかったことが認められる。しかし、(証拠略)中、毛利課長らはそれ以上に被控訴人に立候補を思いとどまらせる趣旨の発言は一切していない旨の会社の主張にそう部分は、(人証略)によって認められる毛利課長は次期執行委員選挙に立候補する意思があるか否かの返答をしぶっていた被控訴人から立候補する意思があることだけでなく、その理由についてまで聞きただしている事実や、(人証略)は原審及び当審において毛利課長から片瀬が転出した後の業務分担の立案を指示されたが、被控訴人の立候補意思の有無に関し、さきに毛利が被控訴人に面接した結果については何ら聞いていなかったと述べている点に照らしてにわかに措信し難く、他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

毛利課長らの右一連の発言は、その背景に前認定のような課内事情があり、また、その発言中に「立候補するな。」との明言を用いてこそいないが、それぞれ言外に、組合支部執行委員選挙に立候補することを断念するよう執拗に勧告したものといわざるを得ない。

(四)  本件転勤命令の理由

会社は、本件転勤命令の理由を次のように主張する。

すなわち、東京財務課では、昭和四七年ころ、不況対策の一環として、人員の削減を行ったが、その後、業績が次第に回復し、昭和四九年には、全社統括業務を中心に同課の事務量が急速に増大し、あわせて事務の質的向上にも迫られ、その対策に力を入れていたところ、業務は量的に増大の一途をたどり、その増員を図るのでなければ処理しきれない事態にたちいたったので、財務部長玉川孝は、昭和四九年八月上旬ころから、右対策を本格的に検討した結果、財務部全体を見回して人員に比較的余裕のある松山財務課を一名減員し、東京財務課を一名増員することを決め、東京財務課へは、大学卒業者であれば勤続年数が五、六年、高校卒業者であれば八、九年の者で、部内における配転ローテーション等をも考慮して、現場の職務についてから三、四年となる者を配転するのが適当であると判断し、この人選基準に該当する営業東北支店駐在財務の佐藤勝則を東京に呼び戻すこととした、そして、その後任を松山財務課から補充することとし、その人選基準としては、佐藤とほぼ同等の知識経験を持ち、とくに資金業務に経験のある者で、配転ローテーション等をも考慮して現場の職務についてから三、四年となる者が適当であると判断し、この人選基準に該当する被控訴人をその後任者として転勤させることとした。そして、同部長は、その頃被控訴人の右転勤について松山事務所長谷岡二郎の了解を得たうえ、同年八月に行われた人事異動が一段落した八月下旬ころ、右一連の人事を人事勤労部に提案し、その承認を得て、本件転勤命令を発令するに至ったものであって、右の人事は業務上の必要に基づく合理的な転勤であると主張する。

そして、(証拠略)によると、(1)会社は昭和四六年のいわゆる減反ショックにより業績不振となり、昭和四七年には不況対策を実施して人員の削減を行い、同年一〇月には一応その目的を達したところ、その後業績が急速に回復し、昭和四八年以降は急激な売上増に伴い財務の業務量も増大し、管理統括業務についてはコンピューター化等によって業務を質的に改善する必要を生ずるに至ったこと、(2)ところで、東京財務課には不況対策実施当時課長を含め男子は一一名が在籍していたが、昭和四八年二月安川が電算課に配置換えとなり、同年三月から翌四九年二月迄の間に杉田、大矢、笹原の三名が相次いで退職したのに同年四月高校卒業の新入社員の渡部を配属させて補充しただけで、結局三名減員のままであったこと、そこで、会社は同年六月千葉ヰセキに出向していた財務経験が豊富で能力もすぐれた人見の出向を解いて東京財務課に配置し、その後任には松山財務課の今井をあて、今井の後任として人見同様財務経験が豊富で能力もすぐれた東京財務課の山内稔晨をあてる一連の人事異動を行い(四九年六月の人事異動)、さらに同年八月にはプラント部及び東京財務課の強化のため関西駐在財務の村野をプラント部へ転勤させ、その後任には東京財務課の前田をあて、前田の後任として同人に比してより経験が豊富で能力のすぐれた松山財務課の片瀬利昭をあてる一連の人事異動を行ったこと(昭和四九年八月の人事異動)、(3)一方、松山財務課においては前記不況対策実施当時課長を含め男子の在籍人員は七名であったところ、昭和四七年七月被控訴人が高知ヰセキへ出向し一名減員となったが、翌四八年二月被控訴人の出向が解かれて松山財務課に復帰したものの、同年八月梅木が関西支店駐在財務へ転勤したので、結局一名減員となり、以後は課長の西嶋克生が毛利幹久と交替し、四九年六月の人事異動で前記のとおり今井が出た後任に、山内稔晨を東京財務課から転勤させて松山財務課を強化し、同年八月の人事異動では片瀬が出た補充として新卒者の真木が配置されたにすぎないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右に認定したところによると、会社の主張するように、東京財務課にあっては従前からこれを強化する必要があったものということができる。

しかしながら、(証拠略)中、本件転勤当時においては東京財務課を増員しなければならない事態にたちいたっており、他方松山財務課は比較的人員に余裕があったとの趣旨の会社の主張にほぼ符合する供述及び供述記載または記載部分については次の疑問が残る。

先ず、東京財務課の強化についてはかねてからその必要があったことは前記認定のとおりであるが、それにもかかわらず、昭和四九年四月に高校卒業の新入社員一名を配属させて補充しただけであり、昭和四九年六月の人事異動は前記認定の事実からいってとくに東京財務課の強化策といえるか否か疑問であるし、同年八月にようやく経験が豊富で能力のすぐれた片瀬を東京財務課へ転勤させてこれを強化させたのに過ぎず、右二回の人事異動においては増員による強化について全く考慮されていないことからすると、会社の主張するほどの切実にして緊急を要する増員の必要性があったかについては疑問があるといわざるを得ない。

他方松山財務課については、不況対策実施当時と比較して一名減員の状態であったし、昭和四九年六月の人事異動は松山財務課の強化策として行われたものであることは前記認定のとおりである。そうすると、その時点では、松山財務課には人員の余裕はなかったと考えられるところ、その後、八月には、経験の豊富な片瀬利昭を転出させ、その後任は新入社員という、同課にとっては手痛い人事が行われた直後に、再び本件転勤命令によって一名減員を行いうるほど同課に人員の余裕が生じたかどうかは極めて疑問であり、しかも、玉川財務部長は、原審において松山財務課の一名減員については、同年八月上旬ころ、松山事務所長の了解を得たが、毛利課長からは直接には事前の意見を徴していないとの趣旨の証言をし、同課長も原審及び当審においてこれに符合する趣旨の証言をしているところ、転勤についてはその立案の責任者である玉川部長にかなり広範な裁量が認められるとしても、減員という相当に重要な人事異動につき、直接の部下であり、かつ現場の責任者である毛利課長の意見を聞いていないというのも不自然であるとの譏を免れず、少なくとも、同課に関する六月からの一連の人事は場当り的で一貫性を欠くとの印象を否めない。さらに加えて、同財務部長が(証拠略)の陳述書及び原審における審尋時においては、本件転勤命令を本格的に検討した時期につきあいまいな供述をし、後に証言時においてこれを訂正する証言をしていることをも考え合わすと、本件転勤命令が会社の主張するような経緯、理由で発案されたものかどうか強い疑念を抱かせるものである。

(五)  当裁判所の判断

そこで、本件転勤命令を検討するに、以上のとおり、一方で、会社は被控訴人の思想傾向及び組合活動を嫌悪していたこと、毛利課長らは命令のわずか約一ケ月前に被控訴人が組合支部執行委員に立候補するかどうかを確めたうえ、これを断念するよう再三の勧告をしていること、(人証略)によれば、かねて会社は組合支部との間で、執行委員以上の組合役員について組合の所属支部を異にする結果をもたらすような転勤はこれを行うことができないか、または少なくとも組合と協議のうえこれを行う旨の協定がなされており、若し被控訴人が次期の執行委員選挙に当選した場合には被控訴人を本件転勤のような所属支部を異にする地へ転勤させることは不可能であるか少なくともかなりの困難を伴うことになることが認められ、財務部の人事に関する立案の最高責任者である玉川部長としては、右のように従業員の組合役員資格が人事異動と密接な関係があることから、被控訴人が組合支部から執行委員を罷免された経緯、毛利課長らの再三の勧告にもかかわらず、組合支部の次期執行委員選挙に立候補する意思が固いことなどについて、少なくともその概要を知っていたものと推認することができるし、また、前記執行委員罷免の経緯からすると、被控訴人に対し違法不当な転勤命令が発せられたとしても組合支部の支援は殆んど期待できない状態におかれ、しかも本件転勤命令が右選挙の直前に発令されていること等の事情があるのに反し、他方、会社の主張する本件転勤の理由には、その必要性、人選等に払拭しがたい疑問があるので、これらを総合して勘案すれば、本件転勤命令は、人事移動の必要に藉口して、被控訴人が積極的な組合活動に従事することを嫌悪し、被控訴人が再び組合支部執行委員になることによって、組合支部の運営並びに活動が一段と活発化することを妨害する意図のもとに、事実上組合支部執行委員選挙における被控訴人の立候補資格を剥奪して組合支部の執行委員選挙に干渉したものと認めるのが相当である。そうすると、本件転勤命令は、労働組合法七条三号の支配介入に該当することになり、その余の無効事由についての判断をまつまでもなく無効たるを免れない。

四  本件解雇の効力

前記認定のように、本件転勤命令が無効であるとすれば、被控訴人がこの命令に従わなかったとしても被控訴人をとがむべき筋合ではなく、従って、これを理由とする本件解雇もまた法律上その効力を生じないものというべきである。

五  被控訴人の地位、賃金等

してみれば、被控訴人は依然会社の松山財務課従業員としての地位を有することが疎明されたことに帰着する。

また、被控訴人が本件解雇当時会社から毎月二五日限りで別紙(二)の一覧表1の基準内賃金月額欄記載の給与の支払いを受けていたこと、もし本件解雇がなければ昭和五〇年四月からベースアップによって同一覧表3、4の基準内賃金月額欄記載の給与並びに昭和五〇年夏季一時金及び冬季一時金として別紙(三)の一覧表の1の一時金額欄記載の金員の支払いを受けていたはずであること、会社が被控訴人を会社の従業員として取扱っておらず、したがって被控訴人に対し賃金等の支払いをせず、もっとも原判決及び松山地方裁判所昭和五一年(ヨ)第二三五号賃金仮払仮処分申請事件の決定にしたがい別紙(二)の一覧表の1ないし10及び同(三)の一覧表の1ないし5の各仮払額欄記載の金員の仮払いをしていることは当事者間に争いがない。

そして(証拠略)によると、被控訴人はその後のベースアップ及び手当の付加、増額支給によって、別紙(二)の一覧表の5ないし10の基準内賃金月額欄記載の給与並びに同(三)の一覧表の2ないし5の一時金額欄記載の一時金の各支払いを受けていたはずであることが認められ、右認定に反する証拠はない。

六  仮処分の必要性

会社が本件解雇以降被控訴人を会社の従業員として取扱わず、またその賃金等の支払いをしていないことは前記のとおりであり、被控訴人がその主張のとおり三人家族であることは当事者間に争いがない。

そして、(証拠略)によれば、被控訴人は昭和五一年五月三一日に婚姻し、それ以降は母を引取り三人家族となったが、それより前の本件解雇当時は被控訴人は会社から支払われる給与及び一時金で生活していたもので、昭和五二年一月以降はこれが支払われないため妻の収入(月収約七万五〇〇〇円)のみにたよらなければならず、その生活が困窮していること、被控訴人は原審において昭和五一年二月五日の口頭弁論終結の時点で計算された基準内賃金と昭和五〇年の夏季及び冬季の一時金に相当する金員の全額について仮払いを求めた結果、原判決において全額認容され、その後会社は前記の如くその仮払いをしていること、その後被控訴人は更に昭和五一年一二月当時の計算に基づき同年四月以降のベースアップによる基準内賃金に相当する金員の増額による差額分と同年の夏季及び冬季の一時金に相当する金員等の全額の仮払いを求めて松山地方裁判所に対し同年(ヨ)第二三五号の仮処分申請をしたのに対し、同裁判所は同年一二月二一日右ベースアップによる基準内賃金に相当する金員の増額による差額分のうち一ケ月一万八〇〇〇円の割合による金員と昭和五一年の一時金に相当する金員の一〇〇分の六〇にあたる金員の仮払いを命じ、その余の被控訴人の申請を実質上棄却する決定をしたが、右仮処分決定に対しては当事者双方共何ら不服申立をせず、会社は前記のとおり右仮処分決定にしたがった仮払いをもしてきていること、被控訴人は本件附帯控訴において右仮処分決定において実質上棄却された金員の仮払いと昭和五二年四月及び昭和五三年四月のベースアップに基づく基準内賃金に相当する金員の増額による差額分と昭和五二年の夏季及び冬季の一時金に相当する金員の仮払いを求めるのであるが、右附帯控訴は昭和五三年六月三〇日に至ってなされたものであり、被控訴人はこれまで困窮のうちにも兎も角生計を維持していることが認められるので、これらの事情を勘案すると、本案判決確定に至る迄、被控訴人が会社の従業員である地位を仮りに定め、会社が被控訴人に対し昭和四九年九月一一日付でなした被控訴人を会社財務部営業東北支店駐在を命ずる旨の命令の効力を仮りに停止するとともに、昭和五一年二月の計算に基づき基準内賃金と昭和五〇年の一時金に相当する金員の全額の仮払いを命じた原判決は全面的に相当であるが、本件附帯控訴にかかる申請に関しては、昭和五二年一月以降の基準内賃金に相当する金員と原判決及び前記仮処分決定が認容しかつ会社がこれに基づき仮払いしている金額の差額として、控訴人に対し別紙(二)の一覧表8ないし10の未払額欄記載の金員の合計四四万五四四〇円と昭和五二年の一時金に相当する金員である別紙(三)の一覧表4、5の未払額欄記載の金員の合計九四万二二七六円の一〇〇分の六〇相当額五六万五三六五円の合計一〇一万〇八〇五円(別紙債権目録(四)記載の金員)並びに昭和五三年七月以降毎月二五日限りで、月額一六万七九七八円より原判決及び前記仮処分決定の認容した月額合計一二万八八七七円を差引いた月額三万九一〇一円の金員を仮りに支払うべきことを命ずる必要性がある。

しかし本件附帯控訴にかかる申請中その余の部分についてはその必要性を認めるに足りる証拠はない。

七  結論

よって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人が本件附帯控訴に基づき当審で拡張した申請中主文第二項の制度でこれを認容し、その余の申請を棄却すべきものとし、当審における訴訟費用の負担について民訴法九五条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 菅浩行 裁判官 福家寛 裁判長裁判官今村三郎は転任につき署名押印することができない。裁判官 菅浩行)

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